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20代のモラトリアム

働くことが嫌すぎて仕事を辞めてニートになったゆとりのブログです

初めて映画『STAND BY ME ドラえもん』見たレビュー的な感想

アニメ

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ボクが居なくてもちゃんとやっていける?

ジャイアンスネ夫に意地悪されたら立ち向かえる? 

 

 

日曜洋画劇場で放送されるとのことだったので、今更ながらに初めて観ました。

他人の意見を見て考えが変わったり刷り込まれるのが厭なので、純粋な状態で、率直な自分の感想を語っていきます。

 公開されたのは2014年とのことなので、ネタバレ含めて書いていきます。

 

<目次>

 

3D化は個人的にはあり

軽くTwitterのタイムラインを追ってみたら、馴染めないとか、これじゃないとか見受けられたし、おそらく公開当時も賛否両論だったんだろうけど、個人的にはこれはこれであり

 

CGの動きが細かくて表情や顔のパーツ、動きがヌルヌル動いて気持ち悪さもあったけど、グラフィック面で楽しめたというのは、従来のアニメドラえもんではなかなか味わえない新しい楽しみ方だと思う。

 

もう10年ほど前に声優をはじめ、制作陣が一新されてから初めての映画、《ドラえもん のび太の恐竜2006》で、タイムマシンに乗ったドラえもんのび太が風圧によって顔面の皮膚が揺られたシーンを思い出した。

 

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小学生の時に俺が観ていた昔のドラえもんでは、こういう映像表現で楽しめるシーンは今までになかったから、あのシーンには衝撃を受けたのだった。

 

個人的には、刷りこみタマゴで洗脳されたジャイアンスネ夫を追いかけるシーンはただでさえ面白いのに、3D化でヌルヌル動くようになったことでエグさに拍車がかかっていた。と言うか完全にホラーでしょあれ。

 

 

物語の展開

2時間でドラえもんとの出会いから別れまでをどう纏めるのかと思ったけど、原作の名エピソードを切り貼りしてストーリーを作った構成は、意外性がなくて「やっぱりそう来たか」という感じだったけど、

逆に言えば、昔ドラえもんを観た人が今作を見たら懐かしさを感じられるだろうし、ドラえもんバイバルというコンセプトとして成功していると思う。

 

ここで評価したいのは、世間的にはあまり有名でないと思われる話を潤滑油として使いストーリーをまとめていた所。

 

例えば刷りこみ卵の話では、出来杉に人間の格の違いを見せられたのび太が道具に頼らずに成長しなければならないと自覚したり、

絶望したのび太が自暴自棄になって虫スカンを飲み、のび太を思って助けに来たしずかと信頼を深めるシーンなど、あまり世間的には有名でない"隠れた名場面"を話に取り込んで、物語の展開として使い、ひいては、のび太の成長のきっかけに繋がっている構成に賛辞を贈りたい。 

 

 

しずかちゃんはヒロイン

しずかちゃん以外にヒロインは考えられない。

のび太が頑張ろうというきっかけになったり、頑張ったシーンの殆どはしずかちゃんに関係するエピソード。

 

・刷りこみたまご

・嫌われようとして絆を深める

・雪山での救助劇

 

そして結婚前夜の話。

個人的にドラえもんの話の中でも、のび太の結婚前夜の話は欠かせないと思っていて、しずかとしずか父のやり取りは、2Dだろうが3Dだろうが、久々に見ても色褪せないね。

 

 きみはぼくらにすばらしいおくり物を残していってくれるんだよ。
 数えきれないほどのね。
 最初のおくり物はきみがうまれてきてくれたことだ。
 午前3時ごろだったよ。
 きみの産声が天使のラッパみたいにきこえた。
 あんな楽しい音楽はきいたことがない

 

 (中略)

 

 のび太くんを信じなさい。
 のび太くんを選んだきみの判断は正しかったと思うよ。
 あの青年は人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむことができる人だ。
 それがいちばん人間にとってだいじなことなんだからね。
 彼なら、まちがいなくきみをしあわせにしてくれるとぼくは信じているよ

 

今見ても、美しい会話のやり取り。

年を取って心が濁った奴にはクサイ台詞だと思われるかも知れないけど、俺はこのシーン大好き。しずかちゃんとの結婚は、10歳ののび太の一つの到達点として欠かせないエピソードだしドラえもんを2時間で纏めるなら外してはいけない場面。

リアルで結婚前夜にこんなやり取りをする父と娘は居るのだろうか。

 

個人的には、スネ夫が言った「独身最後のパーティ」という単語は、俺の中でどストライクな単語で心を抉られた。ここに俺の思考を書くと文章が支離滅裂になるから割愛するけど、発狂したくなるような言葉の魔力を感じた。

 

一つ気になったのが、結婚前夜の話からしずかちゃんが一切登場しなくなったのは結構不自然だった気がする。まあ話に関係ないのに出しゃばられてもテンポが悪くなるだけだけど、これまでの話がしずかちゃん中心の展開だったから…。

ドラえもんが未来に帰った後なら少しくらい画面に映っていてもいいと思うんだけど。

 

映画《帰ってきたドラえもん》では、スーパーでばったり遭遇したり、落としたどら焼きを拾ったりと出番があったし。

しずかルートが終わればもう用済みって感じがしてうーん…ってなった。

 

 

ドラえもんぐうかわ

ドラえもんは最初のび太の面倒を見ることに消極的で、最初「あれ?原作改変パターンか?」と思ったけど、映画の都合上未来に帰らないといけないから、帰らなければならない理由を付加するためか。原作の《さようなら、ドラえもん》では、帰る理由は特に明かされないし。

 

それと最初は好感度を抑えめに設定して、2時間という限られた時間の中で、別れの時の未練と、再会の感動を強めるためというのもあるだろう。

その割には数十分で打ち解けて仲良く遊んでいたので別に原作通り、帰る理由は謎のまま帰っても良かったと思うけど。

 

まあそんなことはどうでもよくて、ドラえもんはやっぱりかわいい。

キャプチャがないから貼れないけど、ベストショットは暗い部屋でのび太を見て微笑んだ時。あぁ~

 

 

 原作にはない"青春感"

いつもお馴染みのドラえもんと言えばどう想像するだろう。

一人では救いがないのび太を、その場凌ぎの秘密道具で助けて、それをのび太が悪用した結果、報いを受ける。これが一つのテンプレートになっていると思う。

 

この作品ではのび太の成長によって物語が進行するから、失敗や経験を通じてのび太が自分で成長しなければと思い努力する姿勢には青春要素を取れる。

逆に言えばいつものドラえもんらしくない。詳しくは後述するけど、のび太が成長することがドラえもんが未来から来た理由であり、《ドラえもん》という作品の本質だと思うんだよね。

 

情景的にも、夜の屋根で2人で座って語るシーンや、夕焼けの公園でタケコプターを飛んでのび太が自身の幸せを謳うシーン、青春以外の何物でもないと思う。

 

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エンディングとクソすぎる主題歌

テレビ放送されたのはエンディングも数秒で終わったから、余韻も何もなくて残念だった。劇場版だとちゃんとしたスタッフロール付きのEDがあるんだろうけど。

 

主題歌クソすぎワロタ。そばに居たいよ~(笑)

 

原点回帰がテーマなら、主題歌も原点に戻って欲しかったなあ。

 

アニメの初代エンディングであり、98年に上映された劇場版《帰ってきたドラえもん》の主題歌を貼っておくので、今こそ曲も原点回帰するときだと思うんだけど。

 


青い空はポケットさ(1コーラス)

 

最後の結末

ドラえもん』という作品の総集編を作るなら、ドラえもんとの別れのシーンは欠かせない。

作品のタイトルに「STAND BY ME」とあるようにドラえもんのび太の2人がコンセプトになっていることから、一旦の別れの後に再開することで、更に絆が深まるという感動のシーンがあることは必然だし、視聴者もそれを求めているだろう。

 

だけど個人的には、ドラえもんを2時間の長編でまとめるとした時、この結末、ひいてはコンセプト自体に疑問を呈したい。

強いて言えば、ドラえもんが未来から帰ってくる結末は、今までまとまっていたストーリーをぶち壊した結末だったと俺は思う。

 

ここで言っておきたいのは、今作の結末は原作にもある話で、原作の構成を否定してるのではなく、この作品に限ってだということ。

50巻以上の単行本が有る原作は基本的に1話完結型で、物語に連続性がなく、かつサザエさん時空で時間経過を伴わない。

だからのび太が成長するのは不可能だし、成長してしまったらドラえもんが未来に帰らないといけなくなる。

 

ところが今作は2時間の、1つの長編として、ストーリーをまとめ直している。ドラえもんが来た理由は、のび太を成長させるため。のび太が成長しないと、ドラえもんは未来に帰れない。

 

一人では何も出来ずに、このままでは不幸な未来が約束されていたのび太だが、ドラえもんと過ごした時間の中で、確実に成長することが出来た。 

遅刻せずに学校に行くようになったし、道具に頼らず、試験勉強をするようになったし、ジャイアンに喧嘩で勝つこともできた。そして最後には自分の力で未来を変えられた。

 

もうドラえもんの役目は既に終わっていた。だからセンサーが反応して未来に帰ることになった。

 

ドラえもんが来た理由、言い換えればドラえもんの存在意義は、”のび太の自立”なんだよね。

もうのび太ドラえもんが居なくてもやっていける。

だからこそドラえもんが戻ってくる意味はないし、自立して成長して、未来を変えることに成功したのび太ドラえもんはもう必要ではない。

戻ってきた時点で、単なるハッピーエンドのためのご都合主義だ

 

前にも書いたけど、既存の短編の組み合わせで、きちんと出会いから別れまで、1本のストーリーによってのび太は成長できるように作られていたのに、ドラえもんが戻ってきたことで、『ドラえもん』という作品の本質の「自立」のテーマが歪んでしまった。

 

ジャイアンとの喧嘩が名場面と言われているのは、ドラえもんが安心して未来に帰れるように、これから一人で頑張ら無ければいけないという、のび太の覚悟が現れるシーンゆえなのに、その直後に騙されて泣かされるというのも腑に落ちない。昨日の男気は何だったんだ。

原作は《さようなら、ドラえもん》で一度完結しているが、連載の都合で続けなければいけないから、いつもの情けないのび太を登場させる必要があるけど、のび太を成長させることで話が進むこの作品では、ここはカットしてよかったでしょ。

  

だからもし俺が2時間でドラえもんをまとめるなら、ドラえもんとの再会はカットして、別れたまま終わらせていたと思う。

その後に、ドラえもんが居なくなったことを自覚してこれからのことを決意するカットがあったら良かったかもしれない。その様子をドラえもんセワシがタイムテレビで応援するシーンがあっても『ドラえもん』らしくていいと思う。(似たような話が単行本未収録(?)の原作でもあったはず)

 

だけど、実際このような結末はきっと万人受けはせずに賛否両論になりそうだ。

おそらく児童向け作品は殆どの人がハッピーエンドを期待しているだろうし、厳しいメッセージ性には拒否反応を起こして目を逸してしまいがちだ。

 

しかし別れから目を背けてはいけない。今回だって偶然が重なってドラえもんは 帰ってこれたけど、またいつかは別れの時が来るだろう。

いつまでも少年のままではいられない。ドラえもんが未来に帰るということはまたのび太が一歩成長するということだ。

 

ボクが居なくてもちゃんとやっていける?

ジャイアンスネ夫に意地悪されたら立ち向かえる? 

 

やっていけるよ。今ののび太なら。

おそらくドラえもんが未来に帰った後であろう、結婚前夜のパーティの様子を見たら分かるよ。

 

 

 

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